私は生粋のハポン(日本人)で、父が山形県鶴岡市出身で母が福島県南相馬(旧原町市)出身です。
私は生まれも育ちも川崎市出身で、故郷が有りません。
しいて上げれば故郷はフィリピンと思って居ます。

今回の大災害を受け、日本人の気質を強烈に感じています。
昨日も計画停電夕刻時間帯の時に車で外出してましたが、周りは薄暗く交差点の信号も点灯していません。
初めての体験で、凄く異様で不気味な感じがしました。
どの車も速度を落とし、譲り合ってスムーズに交通が流れています。
もちろんクラクションなど全く聞こえません。
最近フィリピンでの運転に慣れてきて、渋滞時には4車線の道路が6車線にも7車線にもなるフィリピンとは大違いで、日本人の秩序とマナーには今更ながら驚かされます。
災害地の東北地方の皆様は昔から我慢強く温和しいと言われて居ましたが、世界から見たらあの様な大災害の時に何で略奪や暴動が起きないのか?と報道もされました。
日本の消防隊・東電職員等の身を捨てての献身的な勇気ある原発処理も世界から賞賛を浴びています。
しかし...原発関連の情報隠匿は世界中から非難を浴びているようです。

今は何にも出来なく仕事仲間やシューティング仲間の義援金協力しか出来ませんが、シューティング仲間は2009年9月のフィリピン・マニラに大災害をもたらした台風オンドイ(16号)の時も、最大の災害を被ったお世話になっているマリキナ市に義援金を寄付してくれました。
私と違いシューティングしか縁がないのに、本当に有り難い事です。

こんな秩序有る強い国民ですので、災害地復興も以前よりインフラも整備された素晴らしい街が必ず復活する事を信じています。
注
今回の日記は、フィリピンや他の国を誹謗中傷する内容では無い事をお断りしておきます。
なにしろ、フィリピンは私の第二の故郷ですので。
日本は日本、他国は他国の事情も有りますのでご理解下さい。
写真は今回の義援金活動のステッカーや、フィリピンの試合で『日本はひとつ』を背負って頑張っている仲間達です。
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